ねじまき鳥クロニクル
ずいぶんと前から傑作とは聞いていたものの、何となくその長さから敬遠していた村上春樹さんの「ねじまき鳥クロニクル」を初めて読みました。
この作品に込められた隠喩から何を汲み取るか、ネットで検索してもいろんな人が感想を述べていますが、まさに純文学としての読書の醍醐味ですね。「世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド」を初めて読んだときに、その比喩力と文章力に唸ったのを思い出しましたが、リアルな話と寓話的な話を織り交ぜながら表面的に読者には混迷するこの話も、同等にすばらしい作品でした。
「ひとりの人間が、他のひとりの人間について十全に理解するというのは果たして可能なことなのだろうか。」
比較的前半にでてくる主人公のこの言葉に、物語の底辺に流れるテーマみたいなものを私は感じました。そもそも私たちは日常的に人と人との会話は推定から成り立っていると薄々感じてますよねぇ。これが例えば夫婦や親子のような親密な関係であったとしても信頼というものが加わるだけで、果たして本当に相手のことをどこまで理解しているのか疑問です。逆にどれだけ理解されているのかも。
人の本当の痛みや喜び、、いつまでたっても無くならない戦争や暴力を生み出す心の中にあるどろっとした掴みどころのない悪意まで、この不確かな時代を支配している不安な要素を、隠喩でうま~く表現しているなぁと感嘆してしまいました。なぜもっと早く読まなかったのだろう、しかしスゴイなぁ。