成人の日
昨日は成人の日でした。
川越市は数年前に記念式典の行われる会場が市民会館から運動公園に変わったので、雨風食堂周辺では晴れ着姿を見かける機会がだいぶ減りました。とはいえ、お店が和風だからか、昨日も数組の新成人のお客様が晴れ着姿で来店されました。皆さんキレイで、日本人は和服が似合うなぁと思いつつ、どちらかというとその新成人の方を育てられた親御さんの事を考えている自分に歳をとったなあと感じる今日この頃です。
今日の読売新聞の朝刊、竹内さんのコラム。この寒い季節にポッとこころの温まる内容でした。
(以下全文引用)
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きのうの朝、駅に向かう道で、「早く、早く」という声を聞いた。晴れ着姿の娘さんがカメラを構えた父親をせかしている。成人式へ出かける前に玄関先で記念の一枚を、ということらしい◆犬の散歩をする人がひとり、ふたり、足をとめたので、白い襟巻きの中の顔が照れている。中腰で念入りにアングルを探る父親と、傍らでほほえむ母親と、家族の姿を丸ごと遠景から写してみたいような、ちょっといい場面だった◆吉野弘さんに、「一枚の写真」という詩がある。ひな飾りの前で、幼い姉妹がおめかしをして座っている。「この写真のシャッターを押したのは/多分、お父さまだが/お父さまの指に指を重ねて/同時にシャッターを押したものがいる/その名は『幸福』」◆クリスマスから正月、「成人の日」が終われば、桃の節句に入学式の季節が控えている。指に指を重ねて家々を回るのが仕事のその人も、冬から春は書き入れ時に違いない◆古いアルバムをひらき、幼い自分の写真を見ながら、シャッターを押した父や母の表情に思いをめぐらすときがある。写真とは思い出の記録だが、困ったことに思い出したいものはいつも写っていない◆あの娘さんもいつか、玄関先の一枚を眺めては、シャッターを押す指に指を重ねていた“もうひとり”に気づく日があるだろう。
1月15日読売新聞「編集手帳」より全文引用